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創立70周年記念 第83回定期演奏会の紹介 本番(1日目)の様子、リハーサル(1日目)の様子、リハーサル・打ち上げ(2日目)の様子 |
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海を旅して なかまにであう 岩陰に隠れて暮らす たくさんの赤いさなか あつまって おおきなさかなに そして じぶんが 目になろう そう覚悟したときに 平和がはじまる |
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演奏日時 | 2018年10月27日(土)午後6時半開演 開場は6時 10月28日(日)午後2時開演 開場は1時半 | ||
演奏会場 | いずみホール | ||
指 揮 | 新実徳英(特別出演)/守屋博之(名誉指揮者)/山本恵造 | ||
ピ ア ノ | 門万沙子/石田瑞枝 | ||
器楽伴奏> | 奥田律(フルート)/藤岡靖博(ベース)/小川悟史(ドラムス) | ||
出 演 | 関西合唱団/関西合唱団とともに歌う合唱団/関西合唱団青年部Peace&Amuse/関西合唱団60周年記念合唱団/関西合唱団OB/ともに歌う青年 | ||
スタッフ | 黒川淳子(司会)/森昭夫(舞台監督) | ||
チ ケ ッ ト | A席 3,000円、B席 2,500円 全席前売り指定 高校生以下、障害者と介護者(1名)の方は全席500円引きです。 |
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演 奏 曲 第1部 | <オープニング> 一本の鉛筆 (松山善三 詞 佐藤勝 曲 信長喜富 編曲) 【関西合唱団/山本恵造(指揮)/門万沙子(ピアノ)/奥田律(フルート)】 |
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<歌い継いできたもの〜OBとともに> 母なる故郷 (入江晃 詞 木下航二 曲 高平つぐゆき 編曲) {おーい春」より おーい春 (佐伯洋 詩 中村茂隆 曲) あい (谷川俊太郎 詩 武義和 曲) 「永遠のみどり」より ヒロシマというとき (栗原貞子 詩 外山雄三 曲) 永遠のみどり (原民喜 詩 外山雄三 曲) 芦別の雪の中を (門倉さとし 詞 林学 曲 林光 伴奏編曲) 【関西合唱団/関西合唱団60周年記念合唱団/関西合唱団OB/守屋博之(指揮)/門万沙子(ピアノ)】 |
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<日本民謡> 〜金井 信 編曲による〜 おてもやん (熊本県民謡) 五木の子守唄 (熊本県民謡) 八木節 (群馬県民謡) 【関西合唱団/山本恵造(指揮)/門万沙子(ピアノ)/小川悟史(太鼓)/奥田律(フルート)/藤岡靖博(ベース)】 |
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<委嘱作品> 「二つのこわい歌」 (石垣りん 詩 新実徳英 曲) 赤い紙の思い出 やさしさ 【関西合唱団/新実徳英(指揮)/門万沙子(ピアノ)】 |
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第2部 | <アメリカ南部の歌> スワニー (George Gershwin 曲 Naomi Matsuzak 訳詞 金井信 編曲) Sometimes I Feel Like A Motherless Child (黒人霊歌 Roy Ringwald 編曲) リパブリック讃歌 (ジュリア・ヲード・」ハウ 詞 ウィリアム・ステッフェ 曲 山ノ木竹志 日本語詞 池辺晋一郎 編曲) 【関西合唱団/関西合唱団とともに歌う合唱団/山本恵造(指揮)/石田瑞枝(ピアノ) /小川悟史(ドラムス)/藤岡靖博(ベース)】 |
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合唱組曲< 一滴のうた > (上田假奈代 詞 安広真理 曲) 第1章 水をくんできたよ 第2章 まるいうた 第3章 考えること、想像すること、善意だからいいというわけではないこと 第4章 広島旅行 第5章 きらきらの奥の、ほんとうのひかりへ 【関西合唱団/関西合唱団とともに歌う合唱団/関西合唱団青年部Peace&Amuse/ともに歌う青年 /相川保育園/山本恵造(指揮)/石田瑞枝(ピアノ)】 |
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HeyI Jude (ポール・マッカートニー 詞・曲 金井信 編曲) 【関西合唱団/関西合唱団とともに歌う合唱団/関西合唱団青年部Peace&Amuse/ともに歌う青年 /相川保育園/山本恵造(指揮)/石田瑞枝(ピアノ)/奥田律(フルート)/小川悟史(ドラムス) /藤岡靖博(ベース)】 |
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チラシ (表) |
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チラシ (裏) | |||
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ごあいさつ (プログラムより) |
本日は、関西合唱団創立70周年記念第83回定期演奏会にようこそお越しくださいました。厚くお礼申し上げます。 当団は、本年11月で創立70周年を迎えることになります。これも、戦後の荒廃の中で理想に燃えて数名の青年が始めたうたごえの灯を、多くの皆さまのご支援やご協力をいただき、先輩方が引き継いでくださったおかげと心から感謝申し上げます。本日の第1部では、当団が歌い継いできたうたごえ運動の名曲と当団が委嘱し初演した作品をOBの皆さんや関西合唱団60周年記念合唱団とともに、長く常任指揮者を務めてくださった守屋博之さんの指揮で演奏いたします。 私たちはいつも、いま生きている社会に向き合いながら歌ってきました。70 年前「再び戦争を起こさない」ことを誓い、世界に約束したこの国でした。しかし、近隣の民族や少数者に対する不寛容さが広がり、自由がじわじわと縮められ、息苦しい社会になってきているように感じます。今回、新実徳英先生に作曲いただいた「二つのこわい歌」、平和の大切さを改めて考えたいと上田假奈代さん、安広真理さんに作っていただいた「一滴のうた」の二曲を、いま歌わずにはいられない思いを託して演奏いたします。 なお、今回の演奏会にあたり、41団体、640名の方から協賛をいただきました。心よりお礼申し上げます。 関西合唱団は、本日からまた新たな一歩を踏み出します。時代の変化に対応しながら、80年、100年とうたごえ運動を前進させてまいりたいと思っております。どうか今後とも温かいご支援ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。 どうぞごゆっくりとお楽しみください。 【関西合唱団 団長 山本 則幸】 |
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「二つのこわい歌」について (プログラムより) |
関西合唱団の委嘱をいただき、石垣りんの2篇の詩を選んで作曲することにしました。 「赤い紙の思い出」とはすなわち赤紙と呼ばれていた召集令状の思い出です。紙切れ一枚で呼びつけられ、やがて空っぽの木箱で帰ってきた兵隊さんは100万人を超えます。絶対に繰り返してはならないことです。 「やさしさ」では大国のエゴイズムの犠牲者、小国の戦争孤児を大国の大統領が優しく抱きしめます。見たくもない似非ヒューマニズム。 言葉が実質を伴わないウソだらけのコメントが溢れています。卑怯ものだらけの現在、私たちは本当のことを求めていかねばなりません。 【新実 徳英】 |
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メッセージ (プログラムより) |
一滴は海に、 大文字の正義、正しさを盾に誰かを排除することもおかしいと思う。けれど、歴史をかえりみず、ねじまげた言説に被せるヘイトスピーチがある。どう抗うか。インターネット上では匿名のまま、誰かを何かを否定することが簡単にできる。日常は同調圧力や抑圧、偏見。「表現の自由」の、自由が何をさしているのかわからないまま日々が過ぎる。地球上ではいまもどこかで戦争が起こっている。うっすらと靄かかった状況がつづく日本の片隅で、「平和をテーマにうたう」ことを考える。 日常のなかに根ざしたことばで綴りたいと思った。 話を聞きに行こう。 予想はしていたが、やはり、聞けば聞くほど、問われているのは自分だ、と思う。このざらざらとした気持ちを持ちつづけ、問いつづける、という態度のなかに、一滴のことばのはじまりがある。 【上田假奈代】 「何気ない日々 満たされていることに気づく 今日いちにちの 奇跡かもしれない…」。第5章にある言葉です。今を生きる私たちの多くは、何不自由ない生活が永遠に続くと思っているのではないでしょうか。今年は自然災害が立て続けに起こり、テレビに映る映像に目を疑いました。自然の前では人間はあまりにもちっぽけな存在だということ、そして、人間や全ての生き物は地球に仮住まいさせてもらっている存在なのだと考えさせられました。世界中の人が謙虚に、今、ここに生きていることが奇跡なのだということを忘れないで生きていけたなら、それが「平和への一歩」になるのではないかと思います。作詞に携わった皆さん、言葉をまとめた上田假奈代さんの平和への想いが、聴いて下さる方々に伝わりますように…。 【安広真理】 |
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プログラムノート (プログラムより) |
一本の鉛筆(1974)は、美空ひばりが第1回広島平和音楽祭の出演依頼を受けて作られた曲。反戦の想いが切々と印象的に胸に響く。 《歌い継いできたもの〜OBとともに》 母なる故郷(1953)中央合唱団14期研究生修了演奏会の構成劇のメインとして作られた曲。都立高校の社会科教師だった作曲者は、研究生に入り作曲を試み始め、後に、「原爆を許すまじ」「しあわせの歌」を作っている。 合唱組曲「おーい春」より おーい春(1984) 福祉、医療、教育が削られ、弱く小さな者に凍えるような厳しい風が吹きつけている中で、「春を呼ばなあかんなあ、おーい、春」という切実な思いから生まれた組曲の終曲。保育園の関係者に取材を重ねて歌詞作りがされた。同年、大阪で初めて開催された日本のうたごえ祭典で子どもと大人で演奏された。 あい(2013)第78回定期演奏会のために委嘱した曲で、谷川俊太郎の詩集『みんなやわらかい』より武義和が選んだ詩に作曲したもの。 混声合唱のための組曲「永遠のみどり」より ヒロシマというとき、永遠のみどり(1981) 『日本原爆詩集』より「永遠のみどり」(原民喜)などの四つの詩、栗原貞子の詩集から「ヒロシマというとき」などの二つの詩を選び、外山雄三が作曲した組曲から2曲。第41回定期演奏会における初演以降、多くの平和コンサート、日本のうたごえ祭典など全国で、またアメリ力・ニューヨークでも演奏された。高い音楽の質と、被害者だけでなく加害者の視点を問いかける内容は、その後のうたごえ運動の音楽のあり方に大きな影響を与えた。 芦別の雪の中を(1976)1952年、北海道芦別市で国鉄根室本線爆破事件が起こり、井尻正夫、地主照が爆破犯人とされ逮捕された。その無実を立証する闘いの最中に井尻は交通事故で他界し、妻の井尻光子が4人の子を育てながら遺志を引き継いで63年に勝利。国を相手に損害賠償訴訟を起こし78年最高裁で敗訴。この歌はその支援集会がキッカケで作られた。大須事件の被告として自らも冤罪と闘っていた林 学は「光子さんへの想いが、雪の中を歩く私とダブった」と話している。 《三つの日本民謡》 いずれも、金井信の編曲で、ポップス調に、あるいはシリアスにアレンジされた音楽の変化が楽しい。 おてもやん 元は熊本甚句(花柳界のお座敷唄)で、1935年頃、赤坂小梅が歌ったレコード化によって、日本全国に知られた。絹の道合唱団が編曲を依頼し初演したもの。 五木の子守唄 原曲は熊本県球磨郡五木村の古謡で、子守唄の種類で守り子唄の一つといわれる。一握りの地主のもとで貧しい小作人の口減らしのため奉公に出された子どもが不幸な境遇や仕事の辛さを歌い、慰めとした。五木村は、戦後も川辺川ダム建設計画で立ち退き、村民の離村が起きるなど、政治に翻弄された村でもある。 八木節は、栃木県足利市、群馬県桐生市・太田市を中心とした地域で生まれ、育まれた民謡である。八木節の名称は、栃木県足利市にあった八木宿において、初代堀込源太が歌っていた歌がそのルーツと考えられたことにちなむ。1910年代にレコード化やラジオで全国的に広がった。戦後、中央合唱団が『青年歌集』第1集に収め、うたごえ運動の中で広がった。 二つのこわい歌(2018) 日本を代表する作曲家の新実徳英氏に、いま戦争への足音が近づく不安が強まる中で新しい曲を委嘱し、石垣りんの未完詩集『レモンとねずみ』所収の「赤い紙の思い出」「やさしさ」の二つを選んで作曲していただいた。本日が全曲初演。二曲が鮮やかに対比されて歌われる。 《アメリカ南部のうた》 スワニー(1919)アメリ力南部を流れるスワニー河、そのほとりに住む母親を思い出し、望郷の念を歌にこめている。「ラプソディー・イン・ブルー」「パリのアメリ力人」や「ポーギーとベス」などの名曲を作り今世紀のアメリ力音楽界の父とも称されたガーシュインが21歳の時作曲、ジャズ・シンガーのアル・ジョンソンが歌い、これが大ヒットし、人気作曲家となった。 Sometimes I Feel like A Motherless Child 黒人霊歌の名曲の一つ。黒人霊歌は、アフリカから連れてこられ過酷な生活におかれた黒人奴隷たちが、聖書に救いを見出して歌ったもので、アフリカの音楽の伝統と西洋音楽的要素が融合した独自の音楽として発展した。「時には母のない子のように感じる 故郷から遠く離れて まことの信者よ/時にはこの世をぬけだして 天国にのぼった気持ち」二度と生きて母親には会えないという過酷な運命を嘆き悲しんで歌われる。 リパブリック讃歌 1998年50周年記念日本のうたごえ祭典のために「グレートジャーニー」の中の1曲として編曲され、新しい世紀への歩みを高らかに歌っている。元々のメロディはウィリアム・ステッフによって1856年に作曲された賛美歌。このメロディは、奴隷制度廃止論者のジョン・ブラウンの功績を称える唄に引用された。1861年の南北戦争開戦以来、詩人のジュリア・ウォード・ハウが行進曲にふさわしい詩を作り、北軍の非公式な行軍曲として兵士によって盛んに歌われた。 合唱組曲「一滴のうた」(2018) 関西合唱団の創立70周年にあたり、「平和の大切さ」を改めて問いかける合唱組曲を制作したいと考え、「平和の問題に無関心な人」に届く曲、若い世代と一緒に作り歌う曲をコンセプトにして、「いのちをつなぐ人たちのうた」「そだちあういのち」の作詞、作曲の上田假奈代、安広真理の二氏に委嘱、制作された。憲法9条がよくわからないという素朴な青年の疑問からスタートし、高校生や青年とワークショップ、広島旅行での被爆体験の聞き取り、アフガニスタンで井戸掘りをした人や安保法制反対の声を上げたママの会の人への取材を重ねながら歌詞づくりを行った。一滴のしずくがせせらぎになり、小川に、そして大河になるかのごとく、一人の小さな勇気が平和につながることを信じて「一滴のうた」のタイトルとした。本日が全曲初演。 Hey Jude(1968)ビートルズの世界的ヒット曲。両親の離婚に淋しい思いをしていたジョン・レノンの長男ジュリアン(当時5歳)を励ますためにポール・マッカートニーが作った曲と言われている。 |
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